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璉珹寺について

璉珹寺(れんじょうじ)は、紀寺の跡といい、境内はもちろん寺の周辺部から奈良時代前期の古瓦などが出ています。縁起によると、天平年間聖武天皇の勅願で行基菩薩の開基とされ、紀有常公が改めて伽藍を建立したので中興となっています。慶長7年(1602年)、徳川家康から寺領二十石を下賜されました。維新以後は、かなり衰微するもあったようで、明治24年寺院明細では宗派も天台宗延暦寺派に属したことが記されていますが、それ以前は浄土宗誓願寺末でありました。現在は浄土真宗遣迎院派の寺であります。

過去帳にも、往古法相宗、中頃浄土宗、享保九辰年4月相改天台宗為京都養源院末寺云々と記されています。現在、境内は整備され墓地も拡張され、昭和39年に戦死者慰霊のため大きな観音像が建立されました。

なお、紀寺、璉珹寺については、江戸時代の地誌類に縁起など記載しています。
本堂の内陣中央に本尊阿弥陀如来立像が祀られていますが、平素は秘佛とされ、毎年5月に御開扉しています。

本尊は白色裸形の美しい阿弥陀如来像で、県指定文化財に指定されています。

右脇壇には観世音菩薩立像、左脇壇には勢至菩薩立像が祭られており、本尊に対する両脇立で、国の重要文化財に指定されています。

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